トヨタのWRCへの挑戦

トヨタ情報の「トヨタのWRCへの挑戦」です。


WRCが開始前からあったラリー

トヨタのレースの歴史のスタートが1955年に発売したトヨペット・クラウン、トヨペット・マスター、クラウン・デラックス発表から2年後に、現地に販売会社を作って国産自動車として初めてアメリカ合衆国に輸出したクラウンを出場させたことに始まります。オーストラリアのラリーで今のようなWRC世界ラリー選手権はまだありませんでした。ロンドンからはるばる東京までの5万キロの走行に成功した翌年に当たる1957年に行なわれたオーストラリアラリーは、その広大な国土を19日間かけて一周するという壮大なもので1万7千キロという距離になります。トリビアとしては翌年に日本から日産も参加したのですが、67台が参加したその第6回豪州ラリー(1958_Mobilgas_Trial)をもって過酷すぎるということで中止になってしまったほどです。

歴史的に見れば第二次世界大戦のときに領土を拡大し続け大暴れしていた日本軍による爆撃や特殊潜航艇を用いたシドニー港攻撃されるようなこともあり、ニューギニアやボルネオに於いては日本軍と戦闘を交える等ということがありました。1945年に終わってからわずか13年後のことですから対日感情の悪かったオーストラリアはメルボルンにあった日本大使館の要請で国際親善や貿易振興等の為に参加することとなりました。しかも先に述べた様に海外で車を売っていこうと踏み出したときであった為に世界的なイベントへの参加というのはチャンスでもありました。