過酷なラリーに参加した価値
今の様に世界中から参加するということは一般的ではありませんでしたから、参加台数102台のうち海外からの参加車両は11台にすぎませんでした。とはいえイギリスの植民地を経て独立したオーストラリアにはGM(ゼネラルモータース)の系列であったホールデンやエルフィンといったメーカーしかありません。そこでほとんどが海外メーカーの自動車となりましたが、すでにオーストラリアで現地生産しているメーカーもありましたから、参加車両はホールデンを筆頭にスタンダード社のヴァンガード、シムカ、シュコダ、コンサル、シボレー、フォルクスワーゲン等25台、ポルシェ、ルノー、フィアットと多岐に渡っていました。
そんな中で、経験もノウハウも無かった為にラリーでは常識ともいえる競技車両をサポートする体制がほとんどなかった為に、食料等に始まり工具類、交換部品等を競技車両に積んで、当時は48馬力しかないクラウンに積んで100km/hものスピードを出して走ったのです。8月のスタートでしたから南半球のオーストラリアでは季節は冬、砂漠や雪などの過酷な条件の中でインテークバルブは折れるわ、エアクリーナーは砂まみれになるわオーバーヒートは当たり前の状況です。そんな中でもバンパーが落っこちようとも致命的なトラブルは無く、逆に立ち往生していた他車を助けるようなこともありました。また、現地で暮らす日本人が既にいたのでまさかの現地在住の日本人からの応援やおにぎり等の差し入れ等の応援を受けます。ふたを開けてみれば53台の完走という過酷な中、クラウンは47位でしたが外国賞3位をゲットすることが出来ました。外国賞の1位はやはり強かったポルシェだったのですが、そのポルシェにエンジンオイルを分け与えたのはトヨタのチームだったために、ラリー終了後のポルシェチームの行なったスピーチに海外交流をした甲斐を感じたのです。